おうしんきゅうは鍼灸院

鍼灸の歴史

鍼灸(針灸)の歴史

古代:
針灸の歴史は、かなり古く新石器時代(1万年前~)にさかのぼる。当時の治療には、中国最古の原始医療器具として知られる「(石乏)石」(へんせき)「骨鍼」(こきゅう)と呼ばれる石の先端を矢じりのように尖った鋭利な石片が利用されている。当時は「(石乏)石」(へんせき)を患部に当てたり、浅く刺したりして、痛みを取り除り、膿包を切開するのに利用されていた。また暖めて患部に当て「(火畏)法」(わいほう)と呼ばれる温熱治療にも利用されていた。

中世:
中国隋・唐の時代になると人体の穴位や経脈の研究が進み、「鍼灸甲乙経」が完成し、これにより「病」と「(月兪)穴」(ツボ)の関係がこの時代から本格的に研究され始め「鍼灸」は学問として重視されるようになった。宋の時代になると穴位や経脈を具体的に配列した「鍼灸銅人」が誕生する。これによれば「穴に按じ鍼を試しこむ。穴にあたらば鍼入りて水出づ。少しでも違えば鍼入らず…」とこの時期からかなり正確な「ツボ」が判明していたことがわかる。
日本では、明の時代には、400年を経て古くなって判別がしづらくなった「鍼灸銅人」を再鋳造させた。明代の「鍼灸銅人」は365箇所の経穴に実際に鍼を刺せるようにっており、医者や針師の育成に大いに貢献した。現在、明代の「鍼灸銅人」は北京の三皇廟内に秘蔵されている。それ以外にも明代には、「鍼灸大全」(1439年)「鍼灸問対」(1530年)「鍼灸聚英」「鍼灸節要」(1529年)とともに、鍼灸の集大成ともいえる「鍼灸大成」(1601年)が編纂される。これにより現代鍼灸の基礎が築かれたといえる。

中国鍼


《参考文献》[針灸学」より(上海科学技術出版社)

近代:
清代に入ると「鍼灸の一法、由来已に久し、然れども鍼を以って刺し火をもて灸とするのは、究むるところ奉君の宜しきところにあらず…永遠に停止と著す」の通り、これまで盛んに研究されてきた鍼灸の廃止令が発せられる。しかし、既にこの頃には大衆化していた鍼灸治療は衰えを見せる様子もなく、その後も総括や臨床に関する「鍼灸集成」(1874年)「神灸経論」(1853年)などの専門書が出された。その後押しもあり臨床研究も大きく進み、現代針灸学に多大なる影響を与えたと言われている。

現代:
1949年から中国共産党の時代になって、鍼灸は正規の医学として認可された。高等教育の中医大学も何校も創立された。病院では中医と西医を同時に行われるところがが多い。1972年、アメリカニクソン大統領の訪中に同行したニューヨークタイムスのレストン記者が、現地で受けた針麻酔を劇的に報道し、針麻酔が初めて世界に知られた。中国では1958年のとき針麻酔による手術成功例に端を発し、研究は急ピッチで進んでいます。1970年代に、針麻酔の本態が、生体内モルヒネ様物質に起因するものであることが明らかにされたため、針麻酔を含む針作用について、多くの関心が集まっている。最近は難病の鍼治療が研究が進んでいるが、美容・婦人科・ストレス解消・健康管理などなさまざな症状の鍼灸治療は盛んに行われている。


中国宋時代(960~1279年)、初めてつくられた<
『 鍼灸銅人 』 の模型――全身全部で354個ツボが 刻まれています。
これは中国鍼灸医学の長い歴 史の中における一つの飛躍である。




《参考文献》[針灸学」より(上海科学技術出版社)

古代中国鍼灸治療標本図, 12本経絡の心包経という経絡の流れ、 およびその経絡の名前を記載されている。


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