針灸の話
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針刺激の鎮痛に関する研究◆鍼麻酔の試行と発展鍼麻酔を含む鍼の作用と生体作用機序について,最近多くの関心が集まっている。その最大の理由は,1958年中国での鍼麻酔による手術成功例に端を発し,さらに1970年代には,鍼麻酔の本態が,生体内モルヒネ様物質に起因するものであることが明らかにされたためである。 鍼による治療効果は,多くの実績によって認められている。特に,痛みに関しては,鍼麻酔の報告以前より,現象論的観点から,臨床的価値が評価されていたが,その作用機序については,西洋医学者を納得せしめるだけの十分な研究,報告がなされぬまま,今日に到っていた。しかし,鍼刺激により,脳内に内因性モルヒネ様物質が遊離され,痛みを止めていることが明らかにされつつあることは,鍼・灸の作用機序解明の研究史上,誠に重要な意義を有していると考えられる。 語の定義として,「鍼麻酔」という言葉を使うかどうかは,今後の議論にゆだねるとして,一応鍼麻酔とは,体表の特定部位に鍼を刺し,生体に機械的な刺激を反復的に与えて,生体の特定領域の痛覚閾値を高める方法と考えられる。 ◆鍼麻酔の方法の概要 従来の鎮痛は,痛覚経路の遮断(例えば麻酔薬,外科的処置)による受動的すなわち消極的鎮痛であったが,それに対し,鍼やSPA(実験的電気刺激による鎮痛)による鎮痛効果は,生体を刺激することによって得られるものであり,積極的鎮痛といえよう。 鍼鎮痛の作用機序は単一なものではないと思われるが,その物質的基盤として中枢神経系内での内因性モルヒネ様物質の作用を介するものと考えられる。すなわち,生体に刺激を加えることにより,なんらかの機構で中枢神経系内に,モルヒネ様物質が遊離され,神経体液性機転として働きかけるものと思われる。 具体的な方法としては,さまざまであるが,人体の四肢の筋肉が十分ある部分,鍼の運用ができる部分(足三里,合谷などであるが,麻酔効果を及ぼそうとする部位によって違う)に,鍼を刺入し,いわゆる得気(麻,重,張,酸など)の感覚を得てから,低周波通電(1〜20回/秒,20〜40分間)行うと,目的とした部位に痛覚鈍麻が起こる。 ◆鍼麻酔の利点と欠点 鍼麻酔による手術適応例は,一般に頭部,頚部,胸部である。その特長は, 第一に,患者の意識が完全にはっきりしている状態で手術ができる。患者の感覚と運動の機能が正常に保たれているため,手術に対して患者も積極的に協力することができる。 第二に,重病患者,体質の弱いもの,麻酔薬の使用不可の患者にも使用できる。 第三に,術後の痛みが軽い。また術後管理が容易なこと。 第四に,複雑な麻酔機器を必要としないこと。 などである。しかし,鍼麻酔も良いことばかりでなく,欠点としては,鎮痛効果の発現が一定でない。充分な筋の弛緩が得られない。内臓の手術に際しては,臓器牽引による吐き気などの内臓反射の出現がある。などである。しかし,鍼麻酔の方法の改善,補助的措置の強化など,すなわち利用のしかたいかんによって,鍼麻酔が価値あるものとなる可能性は大きい。 ◆鍼刺激による鎮痛の機序 鍼による鎮痛発現の求心路 痛みの情報を伝える中枢神経路は二つに大別される。 一つは,痛みの弁別系であり,どんな痛みがどこに加わったかを伝える経路である。これは脊髄でニューロンを代えて,脊髄視床路を形成し,さらに視床でニューロンを代えて,大脳皮質に伝達している。その系では,末梢の部位的情報が忠実に伝わるように,部位的な配列が整然とされている。 他の一つは,痛みの情動系でであり,脊髄でニューロンを代え,脳幹に至ると,中心部の網様体中で多くのシナプスを形成しながら上行し,中脳中心灰白質,視床の中心核をへて,大脳辺縁系に至る。また一方では,視床下部を経て,大脳辺縁系に至る経路もある。 この経路は,網様体でたくさんのシナプス形成をしているが,この一つのニューロンには体の多くの部位からの情報が集中しているので,部位の弁別の情報ではなく,痛みそのものが伝えられると考えられる。この経路によって,痛みの感情または不快感などが伝えられると思われる。 鍼刺激により,これらの痛みの伝導路のいかなる部位が抑制または遮断されるのかが問題となる。 ◆鍼による鎮痛発現機序 鍼による鎮痛効果発現の機序の一つとして,メルザックとウォールの提唱したゲートコントロール説がある。(P47参照)しかし,この説だけでは,鎮痛のすべてを説明することは不可能であるが,参考となることもあるので,ここに明記しておく。皮膚感覚の求心路には二つあり,一つは太い神経線維の触覚(A-β線維)と,一つは細い神経線維の温度覚,痛覚(A-δ,C線維)である。これらはそれぞれ,腹側,外側脊髄視床路を上行するが,この経路は,鍼刺激による求心路と考えられている。鎮痛の発現機序は,この脊髄内でのゲートの開閉に鍼刺激がいかに関与するかということになる。 ゲートコントロール説では,おもに脊髄を中心とした考え方であるが,さらに脳幹部を中心とした下行性抑制による鎮痛の考え方もある。中脳水道灰白質,縫線核などを電気的に持続的に刺激すると鎮痛があらわれる。しかも,この鎮痛は,モルヒネ拮抗薬であるナロキソンによって拮抗される。そして,鍼鎮痛もナロキンソンによって拮抗されることから,鍼刺激,あるいは中脳水道灰白質刺激により,モルヒネ様物質が遊離されてこれが下行性抑制を働かせて鎮痛が起こる可能性がある。 ◆鍼鎮痛とモルヒネ鎮痛との関係 鍼鎮痛は, @刺激開始から効果発現まで時間を要する。 A交叉潅流実験での受血動物に現れる鎮痛効果。 Bモルヒネ拮抗薬であるナロキソンで拮抗される。 C脳内特定電気刺激による鎮痛との類似性。 などの知見から,脳や脊髄での,内因性モルヒネ様物質(エンドルフィンやエンケファリン)の関与が考えられている。鍼の鎮痛作用機序を明らかにするためには,末梢からの痛覚求心路,中枢の痛覚伝導路,さらには鎮痛効果系の機構と,その物質的基礎としての内因性モルヒネ様物質の存在が明らかにされねばならない。ここでは,物質的基礎について述べている。 オピエートレセプター(麻薬物質受容器)の分布と作用 アヘンから分離された麻薬性アルカロイドのモルヒネが,強力な鎮痛作用を示すことは周知の事実である。その作用機序は,脳にモルヒネに対するレセプターが存在し,このレセプターと結合することで,ニューロンの活動が抑制されると考えるようになった。1973年ゴールドシュタインらの研究で,脳内にオピエートレセプターが発見され,これは,痛みの求心性神経経路(脊髄後角,脳幹網様体,視床下部)や大脳辺縁系に多く存在することが明らかになった。 エンケファリン,エンドルフィンの発見 モルヒネは元来生体内物質ではないので,オピエートレセプターに対応する内因性の物質の存在が考えられた。1975年,ヒューゲス(Hughes)らはブタの脳からモルヒネ様物質を単離し,エンケファリンと命名した。さらに,ギレミン(Guillenin)らは,ブタの視床下部,脳下垂体などからモルヒネ様物質を抽出して,エンドルフィンと名付けた。これらとモルヒネの薬理作用は極めてよく似ており,脳の諸部位におけるニューロンに対する作用もほぼ同じとされている。モルヒネを投与すると,中枢および末梢神経において,アセチルコリン,ノルアドレナリン,ドーパミン,セロトニン,γ-アミノ酪酸などの神経伝達物質の多くが変動する。内因性モルヒネ様物質の発見後,この物質が各種神経伝達,神経活動を調節している可能性が論じられている。鍼鎮痛の機序をまとめてみると,「経穴」に加えた刺激は,痛覚求心路を経て,中枢神経系内の特定部位に興奮を起こし,これが,下行性の神経路に伝わり,脊髄後角中にある一次求心性線維の働きをシナプス前抑制する。その場合に,脳,脊髄内のエンドルフィン・エンケファリンの関与が想定されるのである。 以上はあくまでもモルヒネの鎮痛機序やSPAなどからの推論であり,鍼鎮痛については多くの問題を残しているので,今後の研究に期待したい。 |